縁あって北九州国際音楽祭を訪ねるようになってから、はや二年半余りが経つ。今回(2003年)は、新たにオープンした北九州芸術劇場の音響なども楽しみにしながら、オープニングを飾った「ウィーン・ヴィルトゥオーゾ」(原語での正式名称は複数形なので「ウィーナー・ヴィルトゥオーゼン」になるが)のコンサートにまず出かけた(本来は次の日に予定されていたビルスマのリサイタルも続けて聴く予定だったのに、本人の体調不良のために来日自体がキャンセルされ涙を飲んだのだった)。
この室内楽グループ、登録商標の関係で名前にはそうと謳えないのだが、正真正銘全員がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーで構成されている“ミニ・ウィーン・フィル”。ウィーン何々オーケストラとかアンサンブルとか称していても、実情はあの音楽の都とは必ずしも関係のないメンバーで占められていたり、エキストラばかりの非常設団体だったりするのとは違い、おのずから音楽の「中身」そのものの次元が異なる。なにせコンサートマスターのシュトイデを筆頭に、チェロのバルトロメイ、フルートのフルーリー、クラリネットのオッテンザマー、ファゴットのトゥルノフスキーと、その楽器を習ったことがあれば雲の上の憧れの人とも言うべき超一流の布陣がずらりと並んでいるのだ。しかも彼らが夜の本公演だけでなく、空港に着いて北九州市内に入ってからホテルにチェックインする間も惜しんでこのホールに向かい、ゲネプロも兼ねた本番の短縮版とはいえ青少年の音楽鑑賞教室に出演してしまうというのだから恐れ入る。彼らのタフさは言わずもがなだが、こうした“大胆な”計画を実行に映して仕舞えるのは、この音楽祭に蓄積された企画力とバイタリティがあってこそだ。事実、事務局の面々は表方に裏方にと奔走し、あるスタッフなどは空港への出迎えから段取りの確認、通訳、鑑賞教室でのアナウンスまでを一人でこなす活躍ぶり。この音楽祭の力強いアドヴァイザーである音楽評論家・奥田佳道さんのトークも万全を期した内容で、彼の豊かなウィーン経験の一端を垣間見るに充分なものであった。
一方、主役である彼らヴィルトゥオーゼンのメンバーはといえば、必ずしも普段からクラシックに馴染みがあるとは言えない高校生たちを、純粋に音楽の力だけで酔わせてしまうという離れ業を披露。「“ホンモノ”にはキャッチコピーもヴィジュアルだらけの大量宣伝も要らない」という事実を身をもって証明した後、いったんホテルに荷物を置いのち仮眠や食事をすませて、彼らは再び本番のために参集してきた。この間に旧知のトゥルノフスキーさんと少し立ち話をしたのだが、この音楽祭出演が日本公演の第一日だったとのこと。8時間というヨーロッパとの時差をほとんど感じさせず、常にベストの演奏を実現する彼らの超人ぶりに改めて舌を巻いた。
果たして本番では満場の聴衆を前に彼らの真骨頂が繰り広げられ、さらに自由で即興的な音楽の飛翔を堪能することができた。終演後、この音楽祭では恒例となっているサイン会(ただし対象は当日の即売CDを購入した人である)に、なんとメンバー全員が一人ずつサインをしていくという大サービスのおまけつき。演奏に大満足した聴衆が作るサイン待ちの列は、なかなか途切れることがない。まぎれもなく世界の頂点に立つアーティストでありながら気取ることなど微塵もなく、それどころか人を愉しませる精神を忘れないすぐれたエンターテイナーとしての顔を、彼ら本物の音楽家たちが大事にしていることが何よりも嬉しく感じられた。興味津々で聴いた北九州芸術劇場の音響も、オーケストラや弦楽器主体の室内楽にはさすがに多少デッドな感が拭えないにせよ、演劇的要素の濃い公演、たとえば室内オペラのような公演への使途も検討できる空間だという印象を得られたのは収穫だったと思う。
そして今回は、会期中に二度目となる訪問も実現させることができた。この音楽祭はフィンランドのクフモ音楽祭との提携関係を解消してからというもの、独自企画のほかにちょうどツアーを実施している音楽家たちをブッキングして、その代わりにできうる限り音楽祭向けのオリジナルなプログラムを組んでもらうことで独自色を保ってきた経緯がある。やはり2003年の今回も、この音楽祭ならではの英断ともいえる演奏会が中盤に配されていた。それはたとえば、首都圏では室内楽ファンから絶大な支持と信頼を集める凄腕弦楽四重奏団モルゴーア・クァルテットと、若林顕のピアノが加わってのショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲をメインに据えた10月27日の演奏会、そして比較的小さなクラシック専用ホールでは事実上初めてという、ジャズ・ピアニスト小曽根真のソロ・コンサート(10/29)である。日本には室内楽の土壌がまだ充分に醸成されていない現状があるため、この傑出した実力をもつ四重奏団でさえ地方公演となると開催に二の足を踏むようなホール関係者も少なくないように拝察するのだが、あえて彼らの真価をこの音楽祭でこそ紹介すべきだという啓蒙的判断が、この日もそのまま吉と出る形になった。蓋を開けてみるまでは「親しみにくいのではないか」と懸念する声もあったようだが、実際には聴衆の入りもまずまず、感銘の度合いは曲ごとに高まってゆき、前述の五重奏曲が終わった瞬間には中身の濃い、確かな手応えを感じさせる拍手が、日本でも有数の音響を誇るここ響ホールに鳴りわたったのである。
お客がただ単に沢山入ることだけを目的とするなら、そもそも音楽祭などと銘打つ必要はない。テレビなどで人気のあるタレント的演奏家や、べらぼうにギャラの高い大物演奏家に予算を計上して所属マネージメントから引っ張ってくれば事足りるだろう。ただ、それでは音楽の受け手である聴衆の層を広げ育てることは永遠にできないし、ジャンルのボーダーを超えて多様化する音楽のニーズに対応することさえ叶うまい。いやしくも音楽祭と名乗る以上は、そうした「見識」の存在が不可欠となってくる。2003年の北九州国際音楽祭に関する限り、その部分はこのモルゴーア・クァルテットが示してみせた一夜の音楽的充実度をもって代表させることができていた。
そして一日おいて、同じ響ホールで小曽根真のソロの夕べが催された。彼は近年、「ラプソディー・イン・ブルー」ほかのガーシュウィン作品をはじめクラシックのレパートリーにも積極的に取り組んでおり、バーンスタインの交響曲第二番〈不安の時代〉での胸のすくような名演(井上道義指揮新日本フィルとの共演)を聴かせてくれるなど、クロスオーヴァーな活躍が目立ってきている。この日もラヴェルの〈クープランの墓〉などをフィーチャーした曲目が予定されていた。ホールにはジャズ・ファンとクラシック・ファンとが自然に垣根を越えて集まり、いつもの響ホールよりもまた少しフランクな心地よさが多く支配する空間を成立させている。コンサートでは彼独特の軽妙なトークをはさみながらの入魂の演奏に会場の熱さはどんどんヒートアップし、最後には会場全体が沸きに沸いてプログラムを終えた。連日の盛況ぶりに輪をかけて長蛇の列ができたサイン会では、一人一人にきわめてフレンドリーな態度で接する小曽根さんの姿が。終了後、以前インタビューした縁もあり楽屋を表敬訪問したところ、彼は響ホールのアコースティックについて「弾きやすかった」といたく気に入った様子で、今後も開く予定のクラシック用ホールでの可能性により自信が深まったと話してくれた。実際にその後同様の環境で彼がコンサートを重ねていることを考えあわせれば、図らずも先鞭を告げる役割を果たした北九州国際音楽祭の見識が、またひとつ側面的に成果を挙げた例に数えられるのではないかと思う。
日本各地で行われてきた各音楽祭をめぐる状況は芳しいとは言えないが、願わくば、このようにバランスの取れた形での意欲的な挑戦姿勢を大事にして、北九州国際音楽祭ここにあり、という存在感を守っていってほしいものである。かつての実績を振り返れば、ラトル(現ベルリン・フィル音楽監督)の秘蔵っ子ハーディングが率いるドイツ・カンマーフィルや、ビルスマを主柱とする室内楽グループ「ラルキブデッリ」などをラインナップに加えてきた「見識あるコンセプト」こそが、この音楽祭の魅力なのだ。「ここでしか聴けない」という希少性と独自性を価値として付け加えるには企画力と実行力の有無とが物を言うが、ここには少なくとも現在のところ、それが「備わっている」。
地域の誇りを創出するのは、結局のところ“地域発”のパワーでしかあり得ないのだから。
〜 吉村 溪(よしむら けい)・プロフィール 〜
音楽批評。上智大学哲学科を卒業後、通信社記者を経て独立し、19世紀〜近現代におけるクラシック音楽の演奏論を中心に雑食主義 的批評を展開する。「音楽の友」「レコード芸術」等の音楽専門誌のみならず新聞や一般誌でも執筆の場を広げ、現在は「週刊朝日」で「クラシックのソムリエ」を連載中。「パーフェクト・オペラ・ガイド」「アダージョ読本」「名盤大全」(以上音楽之友社)「200CD
指揮者聴き比べ」(立風書房)など共著書多数。 |