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 〜北九州国際音楽祭、初体験の記〜
吉村 溪(音楽批評)〜
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 福岡空港へ向かう機上、初めての北九州訪問の頃を思い返していた。あれは20年ほど前。当時同市内の歯科大学に通っていた高校時代の友人(今や彼は京都で立派に開業し毎日忙しい日々を送っている先生だが)の下宿を訪ねたときのことだ。確か京都から青春18きっぷでとんでもない時間をかけて目的地にたどり着いたんだった。ほとんどおぼろげになってしまっているけれど、鼻腔をくすぐる潮風の匂いと海沿いに建つ製鉄所の偉容はかすかな印象として残っている。そうだ、あのときは、まだ東京じゃ当たり前には売ってなかった「いいちこ」の一升瓶を珍しがりながら一晩中飲み明かしたんだっけ........だけどこんな記憶しかないなんて、ろくに市内を見て回らなかったのがバレバレだなぁ、なんて苦笑いしているうちに飛行機が着陸。新幹線を乗り継ぎ、ようやく小倉駅に降り立つ。

 ここで開催される北九州国際音楽祭の存在については、もちろん以前から知ってはいた。フィンランドのクフモ音楽祭と連携する形でスタートして一定の成果を上げたのち、近年は国内外から有望な音楽家を幅広く招聘してのオリジナル・プログラムや、他では聴けないアーティスト同士の組み合わせで独自色を重視した演奏会企画に力を入れているという評判。また故・数住岸子さんが音楽監督を務めた響ホールの音響の素晴らしさも、折に触れて多くの音楽関係者から耳にしていた。だが、その音楽祭事務局から総合プログラムの曲目解説を依頼されるまではともかく、さらに自分がプレ・コンサートの第一部「コンサート楽しみ方講座」なるトークを、まさにその響ホールで山尾敦史さんと一緒に担当することになろうとは、正直思いもよらなかったのだ。

 14年目を迎えた同音楽祭の2001年のテーマは「ヤング・ヴィルトゥオーゾ〜21世紀の担い手たち」。コンサートのラインナップには所属事務所を横断した音楽家たちの興味深い顔合わせ(世間的には見えない部分なのだろうが、実はこの事務所横断というやつが実務的には非常に大変であり、このこだわりを毎年実現しているだけでも事務局スタッフの積極果敢な姿勢が伺えるというものだ)が並ぶ。9月15日のプレ・コンサートに出演したのは大阪出身の新星・梁美沙さん(ヴァイオリン)、ショパン・コンクール第6位入賞の佐藤美香さん(ピアノ)、チャイコフスキー・コンクール優勝のデニス・シャポヴァーロフさん(チェロ)と凄腕伴奏ピアニストのアレクサンドル・ヴェルシーニンさん。それぞれが錚々たる若手のホープ揃いである。ところが現地入りしてから「第二部のコンサートで各出演者に演奏後ミニ・インタビューを行ってほしいのですが」という新たな依頼があり、突然の展開に焦りながらも事前のネタ探しのためあらかじめ出演者全員に“面会”することになってしまった。

 当日はあいにくの雨ながら約7割の席が埋まるまずまずの入り。肝心のトークは二人で事前に打ち合わせておいた進行に従って、数多ある音楽祭というものが世界や日本の各地でどんな特色を持って開催されているか、またその音楽祭を支える地域の人々がいかに毎年の催しを楽しみにしているかといった話題から始めてみる。途中、思いがけない脱線や用意した紙資料が舞台下に落ちてしまうハプニングなどもあったが、聴衆の方々が終始熱心に耳を傾けて下さったおかげで(これは本当に有難かった。舞台の上では皆さんの予想以上に会場の雰囲気が身近に感じられるものなのです)何とかコンサートのラインナップを一通り紹介し終えることができ、ひとまず安堵して楽屋へ戻った。

 ところが自分としてはこの次が反省点。楽屋で少し気を抜いてしまったことから、第二部開始前のステージへ出て“各アーティストの演奏終了後に即席インタビューを設けましたのでお楽しみに”という旨を告知する際、眼鏡を忘れたまま歩いていってしまったのだ。会場の「ん?」「あれは誰?」といった戸惑いを察知して失敗に気づくも、時すでに遅し。あとはとにかく早く袖へ引っ込んで演奏の場にふさわしい空気を整えなければならない。幸い当惑はその一瞬で収まり、聴く側の集中力も見事に持続して、その後の演奏はどれも力の入った素晴らしいものとなった(*注)。にわか仕込みのインタビューにもさすが“本番に強い”演奏家たち、和やかな微笑まで誘うほどの芸達者ぶりにこちらは脱帽することしきり。終わりよければ........ではないけれど、このホールの包み込むような暖かいアコースティックがすっかり気に入った私は、結局プレ・コンサートのほかにも音楽祭最終日(11月29日)のハーディング指揮ドイツ・カンマーフィル公演(何と、この人気コンサートに一般7000円均一という驚くべき良心的価格設定がなされていた)を聴くために再度北九州へ赴くことになるのだった。

 縁というのはつくづく不思議なものだ。恐らくはこれからも、この音楽祭を聴くために幾度となく同地を訪れることになるだろう。二度の訪問の間に、響ホールとは別に九州厚生年金会館をはじめ神社やホテルの空間など、大小さまざまな演奏会場が音楽祭のためのスペースとして使われていることも知った。首都圏から足繁く通うには少なからず遠方だが、あえて“ここでしか聴けない価値”を求めてみるのも悪くない。願わくば、これだけの催しをもう少し広く周知徹底させる体制−−市内でタクシーに乗るたび運転手さんに音楽祭のことを訊ねてみたが「ああ、今やってるんですかぁ」という反応ばかりだったのは寂しく思われた−−が欲しいように感じる。もっと胸を張り、アピールするだけの意味がここにはあるはず。何たってこの期間中は、国内外から厳選された美味しいア・ラ・カルト料理が週代わりでいただけてしまう“世界の音楽フェア”のようなものなのだから。

 (*注)とりわけシャポヴァーロフさんのチェロには感銘を受けた。豊かなモノトーンの色調の中にも瑞々しい抒情性を感じさせる美音で奏でられたショスタコーヴィチのソナタは深い味わいに満ちていて、卓越した右手のテクニックが生み出す多彩なニュアンスともあいまって素晴らしい音楽が展開されたのである。ピアニストのヴェルシーニンさんの伴奏がこれまた絶品で、ソリストとしても充分通用する超名手ぶり。私はこのコンビの演奏に魅了され、東京でのリサイタルにも改めて足を運んだほどだ。将来必ず頭角を現す逸材と断言していいだろう。

〜吉村溪 (音楽批評)


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